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江~姫たちの戦国~ 最終回 秀忠の決断 ブログトップ

江~姫たちの戦国~ 最終回 秀忠の決断 [江~姫たちの戦国~ 最終回 秀忠の決断]

江~姫たちの戦国~ 最終回 秀忠の決断

徳川家による幕藩体制の確立に大きな役割を果たした徳川秀忠。
父・徳川家康の死後、大名を次々と改易し、強い覚悟を持って改革を断行しています。

最初に行ったのは、実の弟・松平忠輝の改易です。
忠輝は「大坂夏の陣」で、政宗と共に先陣を務めましたが、真田軍の攻勢の前に、安否を心配した政宗の命で後方に撤退。家康・秀忠に「不戦」ととがめられ、謹慎処分に。
家康の死から2か月たった元和2年(1616)7月6日、秀忠は忠輝の所領を没収し、改易処分にしました。

もうひとり、秀忠は身内に対して大なたを振るっています。
秀忠と江の三女・勝姫の夫でもある松平忠直の改易です。
家康からの恩賞が大名物として知られた茶器ひとつだったことに不満をもらすなど素行はイマイチ。
酒色にふけり、常軌を逸した行動をたびたび起こしたといわれ、元和9年(1623)2月21日、秀忠の命により、豊後萩原(現、大分市)に配流となりました。

少し残酷とも思える秀忠の決断。
しかし、これはほんの一部です。
改易させたのは、なにも身内だけではありません。
「関ヶ原の戦い」で家康支持を表明し、東軍勝利に大きく貢献した功労者・福島正則をはじめ、数多くの大名を“法度違反”や“お家騒動”、“後継者問題”などを理由に改易しています。
家康、そして、秀忠に側近として仕えた本多正信の子・正純もそのひとりです。
父・家康譲りのしたたかさで、諸大名を統制していった秀忠。

動乱を極めた戦国の世は終焉(しゅうえん)を迎え、200年以上の長きにわたる平和な世の中をもたらすことになります。
(江~姫たちの戦国~ 公式サイトより引用)




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